さとの誕生エピソード【みどりのさと】
実は、わたしは長年司会業をしていました。
そこでご葬儀の司会も携わっていたのです。
多くのご葬儀に立ち会わせていただき、いつも哀しみの中に、深い愛情を感じていました。
しかし、違和感もあったんですよね。
一人ひとりの人生は違うのに、葬儀は選択肢がほとんどなく、時間の制限があってバタバタと進んでいく――。
そのあり方に、疑問を抱くようになりました。
わたし自身、両親を亡くしたときに、同じような経験をしました。
20歳で父が、22歳で母が亡くなりました。
両親の葬儀もバタバタと執り行われ、まったく記憶に残っていないんです。
若かったわたしには、両親の死は大きなショックでした。ある意味哀しむ間がないほど忙しい時間に、救われていた部分もあったかもしれません。
でも、哀しみと向き合えなかったのも事実です。
当時は右も左も分からず、限られた時間の中で、葬儀会社の人や親族に勧められるまま、ただただ身を任せていました。
そんな経験があったので、余計に違和感を持ったのでしょう。
じゃあ、自分ならどんなお葬式をしてほしいだろう。
そんなことをふと考えました。
わたしだったら——。
自宅のリビングで、いつもの日常の中で見送られたい。
娘の弾く心地良いピアノの音色
誰かが台所で野菜を切ったり、食器を片付けたりしている音
なんでもない家族の会話
テレビの野球中継で盛り上がっている声
いつもの生活の中で、普段耳にする音に包まれて、和やかな空間で眠っていたい。
そんな風に思ったんです。
自宅での葬儀なら、「お母さん、ここでこんなこと言よったよね」「お母さん、これが好きやったよね」と、思い出話もしてもらえるかも。そんな家族の会話を聞きながら、そばでわたしがニコニコしている姿が思い浮かびました。
しかし、実際はそのようなご葬儀に携わることはなく、粛々と日々を過ごしていました。
そしていつしか、先々のことも考えるように。
司会業からは離れて、違うことを始めてみようか。一つの仕事をするのではなく、色々なことを掛け持ちで挑戦するのもいいのかも。
そんなことを考えていたのは、わたしだけではありませんでした。
ご葬儀の現場で一緒に仕事をしていた下浦こと「しもちゃん」。
しもちゃんは既に葬儀業界から離れて、違う業種で働いていました。
でも、「なんだか合わない」と思っていたそう。そんな悩みを、よく本人から聞いていました。
わたしの将来のこと、ご葬儀に対する想い、そしてしもちゃんの悩みのこと。当時わたしの中をぐるぐると渦巻いていた気持ちを、ふと兄に話してみました。
すると兄から意外な言葉が。
「じゃあ、自分たちで葬儀の会社やれば?」
そんな言葉が返ってくると思わなかったので驚きました。
葬儀の仕事で独立するなんて、自分では考えたこともありませんでした。
「でも、どうやって会社ってつくるん?」
兄に尋ねると「おれがつくるから、やってみ。」と、またまた意外な返事が。
兄からの提案を、わたしはすぐにしもちゃんに話しました。
すると、しもちゃんはすぐに「ねえさん、おれやりたい!」と言ってくれました(しもちゃんは、わたしのことを「ねえさん」と呼びます^^)。
こうしてトントンと話が進み、会社ができて、頼もしい仲間が入社してくれて、お釈迦様のお誕生日4月8日にさとは活動をスタートさせました。
兄からのありがたい申し出と、しもちゃんの仲間入りという、とても恵まれたご縁の中でさとは生まれました。
そして今、自分がやってほしいな、と思っていたご葬儀をさとで形にしています。
わたしが思い描くご葬儀は「日常の中にあるご葬儀」ですが、一番大切に思っているのは、ゆっくりと故人さまとお別れができ、故人さまと向き合える、そんな時間を過ごすことです。
その時間をどのように過ごすかは、みなさんそれぞれに想いがあるから、きちんと話を聞いて形にする役割の人が必要です。
その役割を、今わたしがさせてもらっています。
みなさんのお声を聴かせていただき、何を求められているのか、ご葬儀に対してどのような想いがあるのか。耳を傾け、一緒に何ができるのかを考えます。
故人さまが大切に育てられた庭の花を手向けていただいたり、生前お好きだったものを作ってみんなで召し上がっていただいたり、お一人おひとり、故人さまと二人きりになるお時間をつくったり。



故人さまとご家族ならではの、それぞれのご葬儀が生まれました。
みんなまったく違う人生を歩んできたんですもんね。
違っていていいんです。
これからも、想いに寄り添う葬儀社であり続けます。
そして、さとという場所を用意してくれた兄と、滞りなく葬儀を執り行ってくれるしもちゃんにも感謝です(兄ちゃん、しもちゃん、いつもありがと~)。

